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2014年08月11日
 今年は初盆のせいか、お盆に対する考えもかなり変わりました。
お盆は、御先祖様がお帰りになる日だから何となく心静かにお迎えしようといった漠然とした感じから、「父が帰ってくる」となると、思い入れも格別で、父が生前と変わらず居心地良く過ごせるようにと、とても身近なものとして受け止めています。

また、多くの皆様が父を忘れずお参りに来て下さり、心から父を偲んで下さるので、遺族としては唯々有難く言葉にならぬ想いがあります。

ひとつひとつの「行事」「風習」には本当に深い意味があるのだなと、しみじみ思います。

今年亡くなった友人は、とても律儀な人で、毎年お中元を届けてくれました。今年から、もう彼女からのお中元は、届きません。お中元に心からの感謝と笑顔を込めて訪ねてきてくれていた彼女。失って気づかされることの何と多いことか。
小さなことにも心を込めて。
この夏、ずしりと感じています。
2014年08月01日
 早いもので八月。
今年は、父の初盆です。葬儀社の方が「初盆、一周忌までは早いですよ。」と話しておられましたが、本当にそう思います。今までのお盆と違い「父が帰ってくる」という感覚があり、ずぼらな私も多少は気合が入ります。
父は、あちらの世でどのように過ごしているのか、私達のことをどのように見ていてくれるのか、尋ねられるものなら尋ねてみたいですが、何より気持ちよく過ごしてもらい、そして安心して再び帰っていってもらいたい、そう切に願います。

蝉の声が響いています。夜にはヤモリが。自然いっぱいの我家です。
2014年07月26日
 先日、関西圏に用事があったので京都まで足を伸ばしました。その日17日は山鉾巡行でしたが、あいにく時間が過ぎており八坂神社に参拝だけして帰りました。
 さて今年から50年ぶりに後祭(7月24日)が復活するとか。大変意義深いことです。
また150年ぶりに蛤御門の変で焼失した「大船鉾」が復活することも喜ばしいことで、関係者の皆様の御努力に頭が下がります。
今回は見ることが出来ませんでしたが、一度は見てみたいものです。

写真は、「蘇民将来子孫也」という護符のついた粽です。恙なき日々でありますように。
2014年07月22日
 梅雨が明け、日差しが強くなりました。夏だなと感じます。「白熊」を食べたいと思いつつも、冷たいものばかりではお腹を壊しそうで、ここは我慢。

今日は留守中に照国神社から茅の輪守と風鈴が届けられていました。風鈴には珍しく猫が描かれています。朝鮮出兵の折、島津軍は猫の瞳孔の開きによって時間を計ったとか。島津家が、猫をとても大切にされていたことがわかる気がします。

何はさておき風鈴の音色の美しいこと。夏ですね。
2014年07月13日
 朝の連続ドラマ「花子とアン」を毎日、楽しみに見ています。
貧しい家に育った花子が明るく前向きに生き抜く姿と、白蓮をモデルとした蓮子の姿を描いています。
家族愛、友情、恋愛とそれぞれの愛が軸となっていますが、花子に思いを寄せながらも実らずとも深い愛で花子を見守る幼馴染の朝市、蓮子の望む愛ではなかったけれども本当に蓮子を大切にしていたのだと思える嘉納伝助など。
全ての人が自分の望む形で幸福になるのは、何て難しいのだろうと毎日、ハラハラドキドキしながら美輪さんの「ごきげんよう、さようなら」のナレーションを聞きつつ一日が始まります。
2014年07月10日
 台風8号通過から一夜明け、大きな被害もなく朝を迎えています。
被害に遭われた皆様、心よりお見舞いを申し上げますと共に、一日も早い復興をお祈り申し上げます。

台風、大雨というと、家の裏が川に面している我家にとりましては頭の痛いことで、いつでも非難できるように準備はしているのですが、何度経験しても恐いものです。今回は直撃と思っていたのでかなり心配しました。私だけでなく田植えが済んだばかりの田んぼや、果樹農家などのことを思えばなおのことでした。

さて長野県南木曽町では土石流が発生し、子供さんが犠牲になられたとのこと。土石流は一瞬のことでどうすることもできないと聞きますが、本当に胸が痛くなります。
いみじくも7月10日は、1997年針原地区で土石流が発生し多くの命が奪われた日です。今日は、いつもにもまして真剣に、御先祖様に手を合わせました。
2014年07月05日
 久々に大きなかたつむりを見つけました。
小さい頃は、葉っぱの上から、間違ってコンクリートに進んだのだろうと思い、わざわざ葉っぱに乗せていました。
先日、テレビで女優の菊川怜さんが「かたつむりがコンクリートを這っているのは、カルシュームを摂取しているから。」と話していました。
「なるほど」と思いながら、飽きずに眺めています。
2014年07月01日
 早いもので七月。今年も前半が終わり後半のスタートです。
六月は、いろいろなことがあったので慎重に生きていこうと思います。

庭にコスモスをみつけました。
あっという間に秋になるのだろうなと思いつつ、これからは夏本番。
2014年06月26日
 私が若かりし頃、70年代から80年代にかけてヤマハ・ポプコンというシンガーソングライターの登竜門とよばれるものがありました。ちなみに中島みゆきさんもその出身です。
 さて、私は下成佐登子さんの「秋の一日」が好きでそのCDをさがしていたところ、このCDに辿り着きました。
早速、購入し聴いてみると、小坂恭子さんの「思い出まくら」、明日香さんの「花ぬすびと」など、懐かしいものばかり。あの頃は、こんな人生になるなど想像もしなかったというのが本音です。
また初めて聴いた辛島美登里さんの「雨の日」。とても瑞々しく、彼女の感性の高さに感心させられます。雨をこの曲のように見つめることができたら、なかなかのものと思えるような心が洗われる一曲です。
2014年06月25日
 サッカーワールドカップ第三戦。残念ながらコロンビアを破ることはできず、予選リーグ敗退となりました。コロンビアはパワーがあった気がします。日本はバテテいたような。

私の友人はビデオデッキが壊れていたので、ワールドカップのために購入したのですが、あえなく三戦で終わってしまいました。

この梅雨空のような、何だかすっきりしない。
2014年06月23日
 今日は友人の葬儀、告別式。同級生が亡くなるというのは、こんなにも悲しいのかと。本当に涙が止まりません。
小学校こそ違うものの、学習塾で一緒。賢い女性でした。大人になってからは先代の酒屋を引き継ぎ、お店と家事を両立させ、三人の息子さんを立派に育てました。何事にも全力で取り組み、決して弱音を吐かず頑張って生き抜いた生き様は本当に立派だったと思います。今は「頑張ったね。お疲れ様」と、その言葉以外見つかりません。
近くにいながら何の力にもなれなかった自分に情けない気持ちでいっぱいです。

唯々ゆっくりと休んでもらいたいと。心からご冥福をお祈り致します。
2014年06月20日
 サッカーワールドカップ第二戦。今日の対戦はギリシャ。
好機は、たくさんあった気がしましたが、押し込めず0対0で引き分け。
もったいない気がします。
オリンピックもそうですが、リべンジは4年に1度。
それを考えると気が遠くなります。

コロンビア戦、是非有終の美を飾ってほしいものです。
2014年06月16日
 サッカーワールドカップブラジル大会が開幕しました。
15日は日本の初戦。対戦相手はコートジボワールでした。
恥ずかしいことに私は、この国がどこにあるのかわからず、まずは世界地図で確認。
「なるほど」と思いつつ観戦。

本田選手が1点決めたものの、後半逆転され2対1に。残念ながら初戦は飾れませんでした。20日のギリシャ戦は是非、頑張ってほしいです。

さて試合が行われた時間帯は道路を走る車が、ほとんどありませんでした。
皆、テレビを通じて、一所懸命応援していたことでしょう。
現地で応援している方々も、危険な目に遭わないよう気を付けて応援して頂きたいです。
頑張れ、日本。
2014年06月14日
 父が亡くなってから初めての父の日です。
生前は図書券を主に贈っていました。
今年は、どうしようか迷いましたが、変わらず父の好きだったものを供えることにしました。

息子と相談して、アラミスの化粧品に。父は、身だしなみにとても気を遣う人だったのでたまたま購入したアラミスをとても気に入り、ずっと愛用していました。製品もさることながらキャンペーンの景品も楽しみだったようで、中でも傘は重宝していました。今年も折り畳み傘がついていたので、これに決めました。

いつも私達家族の傘になっていてくれていた父。父に傘をさしてあげることはなかったから、せめて傘を贈ります。
喜んでくれたら嬉しいな。
2014年06月03日
 南九州が梅雨入りしたとのこと。雨もさることながら、昨夜の風のひどいこと、まるで嵐です。今朝は、お墓のバケツが飛んでいないか早速、見に行きました。大丈夫だったものの、今日も風が強く、雨より風が気になる日です。

昨日の雨でせっかく取った草も生き生きとしています。また元気を盛り返すだろうなと雑草の逞しさに多少の感動を覚えながら、ジャングルのような庭を見つめています。
2014年05月31日
 小学校の親友4人が久しぶりに集まり、女子会。
御主人の転勤に伴い、K子ちゃんが伊佐市に引っ越してきたことで、J子ちゃんもわざわざ鹿屋から駆けつけてくれて実現しました。小学校卒業以来33年も経つのに、変わらないということは本当に有難いもの。
全く気を遣わず、よく食べ、よくしゃべり、あっという間の3時間でした。

またこういう機会があると嬉しいです。

5月も今日で終わり。いよいよ梅雨の季節。6月の花、紫陽花が咲き始めました。
2014年05月25日
 「別れ」という言葉には、確実にまた会える別れ、もしかしたらまた会えるかもしれないという別れ、もう絶対に会えないという別れがあると思います。
この世では、もう二度と会えないという答えがわかっているのが「お葬式」。人生最後の別れです。

今月で父が亡くなってから半年ですが、少しずつ冷静に見られるようになりました。
亡くなった直後は気が動転し、当然のことながら、滅多にあることではないので、わからないことが多いのが事実です。
私もそうでしたが、あまり余計なことは言わない父が、生前一度だけ「僕はもう現役でないから、お悔みに来て下さる方は少ないと思うので、心のこもったお式であれば本当にありがたい。西照寺さんにお経を読んで頂けたら十分だから。」と話しており、何かあったら同じ門徒の葬儀社さんに相談するようにと話したことがありましたので、そのことだけは忘れませんでした。

 父の言葉通り、お願いした葬儀社の方は、例えば祭壇のお花ひとつとっても、「好きな花はございますか?」とお花の種類、色まで故人の好みをできるだけ尊重して下さり、故人や遺族の気持ちを一番に、ひとつひとつを丁寧に進めて下さいましたので、遺族としても本当に満足のいく「見送り」が出来て感謝の思いでいっぱいです。葬儀社の役目はとても大きいと思います。
また、何より故人を心から慕って下さる多くの皆様に見送って頂けたこと、これに勝るものはないと思います。

今日は友人より「お父さんへ」とトルコキキョウを頂きました。お墓やお仏壇に供えて父を偲びます。
2014年05月21日
 先週の土曜日、小学校の恩師、南先生が父の墓参りのためにわざわざ鹿児島市より足を運んで下さいました。先生は四十九日まで毎週七日ごとのお寺へのお参りに何度か「一緒に」と申して出て下さっておられましたが、その頃は冬で紫尾峠が通れず、納骨も3月になったこともあり、この日になりました。
 本当に律儀な先生で「お墓参りをしないと、忘れ物をしたような気がして」と、当日、先生は開口一番、そう話されました。本当に有難く涙が出そうでした。

父は「出会い」というものを、とても大切にしていました。小学校の先生と今でも交流があることをとても喜んでいました。先生御自身も、ある出会いによりこの出水の地に、その方の自分史も含めた「硫黄島戦没者顕彰慰霊碑」の建立に関わることになったのですが、父は硫黄島の慰霊祭が近づくと「先生はとても丁寧な仕事をされた。誰でもこうはいかない。立派だね。」いつもそう話しておりました。戦争を経験した世代として、深い思いがあったのだろうと思います。

お墓の向こうから「ありがとう」という父の声が聞えた気がしました。
2014年05月15日
 早いもので父が亡くなってから半年近くになります。仕事も家でも一緒でしたので、父であり戦友のような存在でしたので、「姿が見えない」という現実をすんなり受け止めるには、まだまだ時間がかかりそうです。
それでも少しずつ、気持ちは前に進んでいる気がします。

さてちょうど去年の今頃、父は腰を痛めたことを契機にケアマネージャーさん始め、在宅の先生など自宅での医療体制が整いました。結果的には半年ほどお世話になりましたが、皆様方には本当に良くして頂きました。
また、父は長年、鹿児島市医師会病院の循環器内科を月に一度受診しておりました。主治医の先生は本当に良い方で、父もこの先生には全幅の信頼を寄せておりました。元気だった頃より「最期は、T先生に看取ってもらいたい」と申しておりましたので、結果そういうことになり、心残りはなかったと思います。
人生最後の入院となった11月、救急車が医師会病院に着いた時、その先生の顔を見た父が「ほっとしました」と漏らした時の笑顔を私は忘れることはできません。

2014年05月12日
 昨夜は台風並みの大風でしたが、今日は朝から雨。
何だか頭がぼんやりします。

昨日は「母の日」でした。毎年、父と贈っていたカーネーションの鉢植えも今年はひとりで渡しました。
こういう時にふと、父がいないことを実感します。

庭にはバラが咲き始めましたが、この雨で、もう散ったかもしれません。
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