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2014年12月11日
 日本時間11日未明にスウェ-デンで行われたノーベル賞授賞式で赤崎線先生、天野先生、中村先生がノーベル物理学賞を受賞され、日本人としてとても喜ばしいことです。
中でも赤﨑先生は鹿児島県御出身なので、本当に嬉しいです。地元の新聞に「努力の天才」と称されており、コツコツ地道に研究を重ねておられた御姿が拝察できます。

さて生前、父が「赤﨑先生は七高だからノーベル賞を取られたら嬉しいけどね。」と語っておりました。旧制高校出身の方々も、ひとり、ふたりと訃報の知らせを受けます。
父もあの世で喜んでいるだろうなと思いつつ、今日は嬉しい日でした

2014年12月08日
 12月7日、以前顧問をして頂いた社会保険労務士の先生と同じく社会保険労務士をしている親友が父の一周忌のため、わざわざ鹿児島市、鹿屋市からお参りにきてくれました。
この先生との縁は不思議なもので、義務的に受講したセミナーがあまりにも素晴らしく、講義が終わった後すぐ顧問のお願いをしたほどで、20年以上の付き合いになります。
 先生は顧問時代、月に一度、「プレジデント」を携えて、は必ず会社に足を運んで下さいました。父は「先生にお会いすると元気が出るね。」と毎月、先生に会うことをとても楽しみにしていました。現役を退いてからは、お目にかかれず、私が「プレジデントを買おうか?」と申すと「あれは先生からの手渡しだからいいんだ。」と言って自分からは買おうとしませんでした。
亡くなってからもこうして訪ねてきて下さった先生の律義さに感謝している父の姿が目に浮かびます。

私の親友も、重いのに、自家製の梅干を抱えて来てくれました。
ありがとう。

3人で父の散歩コースだった麓地区の武家屋敷群を散策し、優しい時を頂きました。
2014年12月01日
 早いもので師走。今年もあと1ヶ月で終わるとは信じられません。
11月も忙しかったので今月も多分忙しい気がしますが、世の中も選挙などで、慌ただしく過ぎていくのでしょうか。
病気や怪我などに注意して、爽やかに新年を迎えたいと思います。

2014年11月30日
 今日は父の一周忌でした。あれから一年経ったとは本当に早いものです。
昨日、法要ののち、お寺の御住職様が「人は亡くなった方をあれこれ心配なさいますが、、仏様はいつも寄り添っておられます。むしろあちらが皆様を見守っておられるのですから、今を一所懸命生きることが大事ですよ。」とお話し下さいました。
お話を伺いながら優しい父の顔が蘇りました。そして何より父自身が仏教徒として一所懸命生きていたと思います。
これから一年、また始まります。
2014年11月24日
 早いもので、 本日24日で「ショップ新屋」4周年を迎えることが出来ました。
これもひとえに皆様の支えあればこそと心より感謝申し上げます。

以前もブログに書きましたが、この日は父の誕生日でした。今年生きていたら89歳を迎えていました。
とても残念ではありますが、父に恥ずかしくないように一歩ずつ頑張っていきたいと思います。どうぞ、今後ともよろしくお願い致します。

さて、大石酒造では、仕込の真っ只中。甕の中は「出水兵児」が元気よく発酵していました。おいしい焼酎に育ってくれますように。
2014年11月19日
 高倉健さんが今月10日に亡くなられたとのこと。昭和がまたひとつ消えた気がします。任侠ものは見たことはありませんが、「幸福の黄色いハンカチ」「鉄道員」「ホタル」などじーんときて涙を流しながら見た思い出があります。

知覧の特攻隊員を描いた「ホタル」は鹿児島が舞台だったこともあり、今日の南日本新聞に様々なエピソードが紹介されていました。真面目な人柄で、他人様や小さなことも大切にする人だったとか。
亡くなられた江利チエミさんのお墓参りも欠かさず再婚もされなかった生き方にも、その人柄が偲ばれます。

心から御冥福をお祈り申し上げます。

2014年11月03日
 先月末に名古屋在住の方より「新屋酒造時代の昭和48年製造の出水兵児を持っているのですが飲めますか?」という質問を大石酒造の大石社長を通じて頂きました。
 もちろん飲めますが、何より廃版となった焼酎、しかも昭和40年代のものがよくぞ残っていたことに一番驚きました。
私は新屋酒造時代の「出水兵児」は空瓶と空箱しか持っておらず、何回かオークションで探しましたが見つからず、もうすっかりそのことは諦めておりました。まさか現存しているとは。父の一周忌を前にとても不思議な気持ちが致しました。
正直、厚かましくも可能であれば譲って頂けたらと思い、大石社長より、その方の電話番号を伺いましたので連絡致し、事情を説明致しますと、
「そういう事情であれば私が持っているより、あなたが持っていた方がお酒も喜ぶと思いますよ。」と快く応じて下さり、無償で送って頂いたのが写真の「出水兵児」です。
保存状態もとてもきれいで、11月1日に届きました。
本当にありがとうございました。

今月30日は父の命日です。違う形で父が帰ってきたような何とも言えない気持ちです。他人様の優しさが身に染みて、幸福を感じつつ、11月が始まりました。
2014年10月25日
 先日、映画「柘榴坂の仇討」を観ました。

腕に覚えのある志村金吾なる侍が井伊大老の御籠回り近習の役に取り立てられたものの桜田門外の変にて主君を守れず、その責めを負い、父が切腹、母は喉を突いた上は、金吾自身には切腹も許されず、主君の仇討を命ぜられるものの十三年歳月が流れ、時は明治となり、仇・佐橋十兵衛を見つけたその日に仇討禁止令が発布されます。 かつて桜田門にて敵味方として戦った者が再会し舞台は、柘榴坂へ。刀を抜いたものの互いに命を取ろうなどといった気持ちはなく、歳月は十三年経とうとも、ふたりとも時が止まったまま。金吾は雪の桜田門の彦根橘の御駕籠のかたわらに立ちつくし、十兵衛もまた自訴し命を終えるつもりがこの世に背を向け生きてきました。お互いが、心に傷を負いもがきながらも、井伊大老の御心を思うなら「生きる」ことを選択します。

歴史的には悪名高き井伊大老ですが、茶人としての評価はとても高く、映画の中でも風流な一面が描かれています。中村吉衛門さんがそこのところを見事に演じており、ここが伝わらないと、時代が明治となり、家禄も名も旧に復すこはずはないのに、金吾が仇討に固執した理由「拙者は、掃部頭さまが好きでござりました。」という一言が生きてきません。

 私の父も学生時代、京都にて、お茶を習っていたそうです。私は表千家か裏千家とばかり思っていました。父に流派を尋ねたところ「近江石州流。」と父は答え、「茶人として井伊大老は一流だった。」と言いました。父は鼓も習っていたそうで、映画の井伊大老を見て、父の言葉を思い出しました。

もうすぐちちの一周忌です。御駕籠の前に立ちすくんでいるのは自分のような気がして、とても心に残る映画となりました。

の手おtyを
2014年10月19日
 久しぶりに秋晴れれの週末を迎えています。
本日、出水市今釜地区に硫黄島顕彰・慰霊碑を建立致したことを機に毎年、慰霊祭を執り行っておりますが、今年は遺族による慰霊祭でした。
少人数でささやかな手作りの慰霊祭でしたが、しみじみとしたもので心に響きました。
 式典終了後は、さわやかな秋風が吹き、英霊の方が喜んでおられたのではないでしょうか。

硫黄島には、まだ半分遺骨が残っておられるとのこと。1日も早く家族の元にと思うと共に日々の安らかさは、このような皆様の犠牲の上に成り立っていることを忘れてはならないと改めて感じました。
2014年10月14日
 猛威を振るった台風19号が太平洋に抜けました。被害に遭われた皆様に心よりお見舞い申し上げますと共に、1日も早く穏やかな日常に戻られますことをお祈り申し上げます。

我家は古くなった門の扉が外れました。重さがあったので、吹き飛ぶまではいきませんでしたが、ぎしぎしと音を立てて崩れゆく様は、こわかったです。
また、台風が去った後の吹き返しがひどく、すごい音を立てていました。

これくらいで収まったことに感謝し、また日々頑張っていきたいです。

2014年10月12日
 台風19号が近づいているせいか、段々風が強まってきました。大型でとても強い上、日本列島を縦断するコースで、とても心配です。

そのような中、御嶽山の捜索が続いております。台風19号、さらには雪の季節と自然状況が厳しくなります。1日も早く行方不明の方が見つかりますことと、全国台風の被害が少ないことを、祈るのみです。
2014年10月08日
 今年度のノーベル物理学賞が青色LEDの開発に当たられた、赤﨑勇・名城大学終身教授、天野浩・名古屋大学教授、中村修二・米カルフォルニア大サンタバーバラ校教授の三人に決まりました。日本人のひとりとしてとても喜ばしいことで、心からお祝い申し上げます。またLEDは私たちの生活に応用されており身近なものでわかりやすいです。

さて、今回の受賞者の中、赤﨑教授は、鹿児島県出身で、県民としてもとても誇りに思います。
記者会見を聴きながら印象に残った言葉がありました。
研究生活を振り返った時、「成否を考えず自分のやりたいことをこつこつやってきた」と話されたことと、若い研究者に対して「はやりの研究にとらわれず、やりたいことをやりなさい」というメッセージです。

研究に向かう姿勢が謙虚であり、努力の方だと思いました。

地元紙に旧制七高の赤﨑先生の御写真が掲載されており、父と重なるものがあり、いろいろなことを考えさせらた一日でした。
2014年10月05日
 本日、高円宮典子女王殿下と出雲大社の権宮司・千家国麿氏の結婚式が出雲大社にて行われましたこと、国民のひとりとして心よりお祝い申し上げます。

神無月の十月に由緒ある出雲大社でのお式、まさに縁結びといえましょう。

出雲には一度だけお詣りしたことがありますが、またいつかお詣りできたらと思います。
2014年10月01日
 早いもので十月。今年もあと三ヶ月なのかと思うと信じられない気持ちです。
近頃は予測もつかないことが多く、日々を大切に生きなければと思います。

我家の庭には、金木犀と少し控えめな銀木犀が咲いていました。
父が好きだった花。
父もどこかで眺めているのでしょうか。
2014年09月23日
 秋の彼岸なので、お墓参りに行ってきました。父はどうしているのかなとしみじみ思います。
晩年の父は、禅や哲学の本をよく読んでいました。なかでも若い頃読んでいた鈴木大拙氏の本を何冊か、読み返していました。他人にも家族にも「ああしなさい、こうしなさい」とおしつけがましいところは一切なかった父ですが珍しく「これだけは読んでおきなさい」と言われたのが鈴木大拙氏の「日本的霊性」です。

私には難しく、1回では理解できそうもありませんが、「大地」の大切さを説いておられると思います。『霊性ほど大地に深く根をおろしているものはなく、大地と自分は一体である。』と。
概念に日本的霊性が宿っているのではなく、大地に足をつけて生きていく中に真実があるということでしょうか。
まだ読んでいる途中ですが、何となく父が言いたかったことがおぼろげにわかる気がします。

読書の秋です。
2014年09月19日
 朝夕の風が涼しくなったと思いきや、台風16号が発生しました。
秋分の日の頃、こちらに上陸するのではと、びくびくしています。
秋は作物の実る時期、何とか通過してほしいと思います。
自然の猛威にはなす術がないとしみじみ思います。

今日は雨。本当に今年は雨が多いです。
2014年09月06日
 九月になっても、すっきりとした秋晴れという日がなく、晴れたと思えば雨が降り、湿度の多い毎日です。
先日、小学校の恩師、南先生が父のお墓参りののち、秋の味覚、梨を届けて下さいました。先生は「用事があったから」と話されましたが、わざわざお墓参りのためにいらしたのが真実で「私の家も初盆でお盆に伺えなくて。」とさりげなくおっしゃった言葉から先生の優しさ、律義さを感じました。

頂いた梨を、早速父に供えさせて頂きました。晩年の父は、たくさんは食べなかったけれども、旬のもの頂くと本当に嬉しそうに「有難いね」と手を合わせ、笑顔で食しておりました。
父の笑顔が浮かびます。
「先生、ありがとうございます。」
2014年09月01日
 早いもので9月となりました。
今年の夏は雨ばかりで西日本は本当に日照不足でした。
私の友人のぶどう園さんも日照不足のあおりを受け、ぶどう園始まって以来の着色遅れにとても気を揉みました。
天気が回復するにつれ、着色も進み、今年から初めての出荷となるシャインマスカットも立派な実をつけていました。

秋の味覚のぶどう。これからが本番です。
2014年08月24日
 この度の豪雨により土砂災害に遭われた広島市の皆様にお見舞い申し上げます。
犠牲になられた方々の御冥福を心よりお祈り申し上げます。また行方不明の皆様の御無事と日々の生活が一日も早く日常に戻られますことを願っております。

毎日、広島の報道を見るたびに、胸が痛くなります。
出水市も平成9年、針原地区を土砂が襲い、多くの方がお亡くなりになりました。被災された皆様が、どんなに大変だったかはっきりと憶えていますので、広島市の皆様のことを思うといたたまれません。

昨日より今日が良い日でありますように。
2014年08月18日
 父の初盆が無事、終わりました。
縁ある方々がお参りにきて下さり、父を偲んで下さいました。
本当に有難いことです。

父を迎えるにあたり、父に「帰ってきたよ」ということが何かわかるものを残してほしいと懇願しました。

いろいろと不思議なことがあり、父は約束を守ってくれました。
また来年のお盆まで、父に恥ずかしくないよう頑張ろうと思いました。
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