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2011年10月20日
 朝夕、少しひんやりして秋を感じます。

さて10月22日、神奈川県川崎市駅前、アゼリアサンライト広場・アゼリアマルシェ開催会場にて「出水兵児」「花紫美」の試飲・即売会を行います。
もし、お近くを通られましたら、是非お立ち寄り下さい。
よろしくお願い致します。
2011年10月11日
 小さい頃、テレビ放映されていた「隠密剣士」に憧れていました。大瀬康一という役者さんだったと思います。虚無僧に扮したり、編み笠から、すくっと顔を出して斬るといった筋書きでした。父におもちゃの刀をねだり、腰に差して広場を駆け回り遊ぶことが常でした。ある日のこと、大きな木に向かって打ち込みをしたところ、蜂の巣があり襲撃を受けました。あまりの痛さに泣きわめき、知り合いの方が家まで連れて帰ってくれました。そして、ほとぼりがさめた頃、またもやその木に向かい、「隠密剣士参上・・・」と言ったかどうかはわかりませんが再び刀を抜きました。そして二度目の襲撃に遭い、両親から怒られること怒られること。

先日、お風呂場に蜂がブーンと飛び回っていました。壁に止まったところを、叩き、無事し止めました。40数年ぶりの仇討でした。

2011年10月05日
 10月に入り、庭に出るとどこからともなく良い香りが。そう、金木犀の香りです。この香りを嗅ぐと、秋が段々深まりゆく頃だと実感します。今年は、萩、秋桜、彼岸花など一度に咲いて、自然界もせわしいのかもと思っています。田舎は、当たり前に季節を感じることが多いのですが、かつて学生の頃、東京の住宅街で庭先の金木犀の香りに、はっとして秋を感じたことを思い出しました。あの家の金木犀は、今もあるのでしょうか。

2011年10月01日
神無月は旧暦10月の異称ですが、今日では新暦10月の異称としても用いられています。由来としては神無月の「無・な」が「の」にあたる連体助詞「な」で「神の月」とする説が有力のようです。他に雷の鳴らない月なので「雷無月」とか新穀で酒を醸すから「醸成月」が転じたとか、いろいろな説がありますが、私は全国に神様が出雲に集まるので「神無月」、逆に出雲では「神在月」という説が一番馴染みがあります。ところで出雲地方の他に神在月とする地域が一か所あり、諏訪大社の周辺だそうです。伝承によるとかつての諏訪大社の祭神であった「諏訪明神」があまりにも大きな体であったため、それに驚いた出雲に集まった神々が気遣って「諏訪明神に限っては出雲にわざわざ出向かずとも良い」ということになり、神無月にも諏訪大社に神が有ることから神在月と呼ぶそうです。何となく微笑ましいお話ですが、不謹慎にもメタボという言葉が頭をよぎりました。

いよいよ実りの季節を迎えます。
2011年09月26日

 25日は出水市今釜町・高龗神社内に建てられた硫黄島顕彰慰霊祭、戦没者慰霊祭が執り行われました。
この硫黄島顕彰慰霊之碑は田島祐義氏(平成21年9月病没)によって建てられたものです。ある日、出水市出身・和歌山市在住の田島氏が、外交官として活躍された祖父・田島彦四郎の書簡及び辞令を寄贈したいと県立図書館を訪れ、また同時に自分の個人史の編集に当たり出水の方はいないかとのことで、出水出身ではないけれども、出水市郡での勤務が長かった小学校時代の恩師M先生に白羽の矢が立ち、何故かM先生が関わることとなりました。田島氏は昭和17年に鹿児島45連隊に入隊されますが、幹部候補生として熊本部隊に転属となります。鹿児島45連隊の消息が気になりつつも確かなことがわからなかったそうです。やがて、個人史を編集していく中で、硫黄島で壮絶な最期を遂げた戦友の事を確認してからは、居ても立ってもおられず、せめてこの鹿児島の地に、顕彰慰霊之碑を建てることができたなら、高齢になりつつある遺族の方が硫黄島まで祈りを捧げに行かなくともこの地で祈ることが出来、また戦友たちも喜んでくれるのではないかと思いこの碑の建立を決心されたとM先生より伺いました。またこの今釜の地を選んだのは45連隊が合同演習で熊本へ向かう途中、野営をした場所であり、また祖父・田島彦四郎氏謹書(日清・日露戦争戦没者慰霊の石碑)の石碑もあり、とても縁ある場所と思ってのことだそうです。
私はM先生との御縁で、このことを知り、父や友人と共に参列させて頂きました。硫黄島の戦いは壮絶なもので、喉を潤す水一滴さえ事欠いた聞いています。それでも祖国を守らんがため闘った方々。
皆様方のお陰で、私は生かされているのだと、あらためて感じた日でした。
2011年09月20日
今日は、彼岸の入りです。彼岸とは煩悩を脱した悟りの境地のことで、煩悩や迷いに満ちたこの世をこちら側の岸「此岸」というのに対し、向こう側の岸を「彼岸」というそうです。また「日願」から来ているとも言われ古来から、太陽や祖霊信仰は日本に限らず、原始宗教の頃からつきもののようです。
昨日、お墓の御掃除に行きましたが、今日は大雨でとてもとても。
 御彼岸といえば、「おはぎ」。「おはぎ」と「ぼたもち」どう違うのでしょうか。こし餡とつぶ餡の違いでしょうか。ちなみに私は、こし餡が好きです。
2011年09月19日
 今日は敬老の日。いまだに9月15日の方がピンとくるのですが。ともかくおめでたい日です。私の家は、多少持病がありつつも、父が80代、母が70代で今日が迎えられたこと、本当に有難く思います。自治会からも御祝いを頂きました。鹿児島の伯母に「おばちゃん、元気?大丈夫?」と電話をすると「そいが、近頃は、目が見えにくくなっせ、耳が聞こえんとよ。それ以外はどうもなかよ。」と。十分元気と思うのですが。((+_+))

床の間の置物。能・高砂に出てくる老夫婦です。
2011年09月16日
8月に、「能・狂言」鹿児島公演を観に行きました。能の演目は「高砂」。結婚式で御馴染の「高砂やこの浦船に帆を上げて・・・・・・」といえばピンとくると思います。
「高砂」のあらすじは阿蘇神社の神主、友成が都見物の途中、播磨の古今和歌集の歌『高砂住之江の松も相生のやうに覚え』にある高砂の松に立ち寄ります。松の話を聞くために里人を待っていると松の木陰を掃き清める老夫婦に出会います。この老夫婦に松について問いかけますと「この松と住吉の松は共に相生の松と言われ、遠く離れていますが心が通い合っているという歌があります。実は私達も高砂と住吉に離れて住んでいますが、長い間心を通い寄せ仲睦まじく幸せに暮らしています。植物の松でさえ離れていても心が通い合うのですから人間の私達夫婦においても「相生」という言葉通り、仲良く互いに老いているのです。これこそまさに「相生=相老」と言う事なのです」と答えます。更に老夫婦は松にまつわる物語を故事に例え語り、また歌道が繁栄する今の世の有難さを讃えます。そして老夫婦は、自分たちは高砂・住吉の松の精霊であることを明かし「住吉で待っています」と言い残し小舟に乗って消えていきます。友成もまた小舟に乗り、松の精霊を追って住吉にたどり着きます。すると月光の中より住吉明神が現れ美しい月光の下、千秋万歳を祝って颯爽と舞を舞い、悪魔を払い、人々の長寿を寿ぎ、平穏な世を祝福するというもの。(日本の古典 能・狂言 鹿児島公演パンフレット参照)

 あまり能は観たことがありませんが、どちらかといえば亡霊ものが多く、今回のような神様がシテのものは初めて観ました。初番目物というのでしょうか。ここのところ、世の中が暗い話題が多い中、「高砂」のような演目は光が差すような気がします。平成の世が穏やかに治まりますよう住吉明神に舞って頂きたく思います。
2011年09月13日
 12日は、十五夜でした。きれいなお月さまを拝むことが出来ました。薄や萩季節の作物を御供えしました。日本中でこの月を仰ぎ愛でる。風情があります。しかし、私は何といっても団子。月見団子とは、よくいったものです。
2011年09月11日
 アメリカで起こった同時多発テロ事件から今日で10年。あの時、テレビ中継で燃え上がるワールドセンターを見て「え、何?」と思った瞬間、別の飛行機が別棟へ突っ込み、何が起こったのか全くわかりませんでした。その後、ペンタゴンも同じくハイジャックされた飛行機により爆破され、テロということを後で知りました。死者2993人、(19人のテロリストを含む)、負傷者6291人以上だそうです。今まで、テロといっても、架空のもののように受け止めていた私ですが、この日以来、現実というものの恐さを知った気がしました。自然災害ですら、受け入れることは、なかなか難しいものです。ましてやテロとなると、御遺族の無念を思うと、言葉がみつかりません。
 今日は東日本大震災からも半年経ちました。問題は山積みです。いつもより長く、御先祖様に手を合わせました。
2011年09月08日
 この9月、台風12号が甚大な被害をもたらしました。心よりお見舞い申し上げます。中でも土石流の怖さを再確認した気がします。私の住む出水市も1997年に針原地区に土石流が発生し21名の方が亡くなりました。早朝サイレンが鳴り、雨によるダムの放水かと思ったのですが、なかなかサイレンが鳴りやみません。何気なくテレビをつけると、速報で土石流のことが流れました。何日も捜索が行われ、出水市が深い悲しみに包まれた7月でした。
針原地区はみかんの栽培が盛んなところです。今年もみかんが色づき始めました。今年も買いたいと思います。
2011年09月03日
 BSで録画した「時代屋の女房」という映画を観ました。これは村松友視が書いた小説で1982年に第87回直木賞を受賞した作品を映画化したものです。骨董屋を経営する中年男(渡瀬恒彦)のところにふらっと若い娘(夏目雅子)がやって来て、一緒に暮らすがいなくなったり戻ったり。骨董屋の周りの人達にもそれぞれの人生、人間模様があり・・・・・・。
 何といっても夏目雅子さんの美しさにうっとり。今生きていたら、どんな風に歳を重ねていたのだろうとあらためて思います。本当に惜しい。
さて、時代屋は物を売るのでなく時代を売りますという台詞があるのですが、クリ二ーング屋の奥さんが御主人の古いトランクを「要らないから」時代屋に持ち込んでしまいます。後日、御主人がそれをまた、引き取りに行くのですが、好きな女性と駆け落ちしそこなった時のトランクで、その時の切符もそのままに残されていました。人はいろいろな思いを胸に秘めて生きているのですね。
この映画に出演していた夏目雅子さん、沖田浩之さんも亡くなり、主題歌を歌うちあきなおみさんも事実上引退し、この映画自体が時代屋そのものに感じられ、私が東京にいた頃と重なって私にとっても懐かしい時代です。あの頃は私も若かった。かな?
2011年09月01日
今日から、9月。陰暦で9月のことを長月といいます。語源はいろいろで新暦の10月上旬から11月の上旬にあたり、夜が段々長くなる「夜長月」の略とする説や雨が多いから「長雨月」からとする説など様々です。
 日中は、相変わらず暑い毎日ですが、夜から明け方はひんやり。背中まで来ていた秋の気配が肩に並んだなと思える瞬間です。
2011年08月22日
 白熊というと鹿児島では誰もが知っている、かき氷のことです。氷に練乳とシロップをかけフルーツやお店によっては小豆などが入っています。

白熊は大きすぎるので小熊にしてみました。
2011年08月16日
油蝉でしょうか。1本の欅の木に三匹も。
2011年08月14日
 今日からお盆。今日は小雨の涼しい天気です。地方地方によっていろいろな風習がありますが我が家はお墓、お仏壇を掃除してお参りに。以前はお寺の御住職様が御経をあげに来て下さいました。幼稚園の頃は、御経がおかしくて後ろでクスクス笑ってよく叱られました。近年はこちらがお寺に出かけ真面目に御経を聞いております。
お盆を過ぎると背中まで来ていた秋が横に並ぶような気がします。
2011年08月09日
 夏といえば水泳。私が小学校に入学したての頃はプールがなく近くの川まで歩いて行き、そこで水泳の授業でした。泳げない私にとっては先生の言うことなど耳に入らず、もっぱら川遊び。とても楽しい時間でした。プールが出来たのは確か小学校4年生だったような。川の方がよかったのですが。
さて私、中学は鹿児島市内の学校に通いましたが、なんと意外なことにここもプールがありません。今では考えられませんが学校で着替えを済ませバスタオルを巻きゴムスリッパを履いて近くの天文館公園までダッシュ。公園のプールで水泳の授業。ありえない。いいえ本当の話です。私達が卒業してめでたく中学にプールが出来たようです。古き良き時代の話しといっても昭和40年代のことなのですが。高校はごく当たり前ににプールがありましたが中学の頃の水泳の授業があまりに強烈で何も覚えていません。
近頃は水泳とかプール、海など縁遠くなりました。今年の夏も海に行く事なく終わりそうな気配です。
2011年08月07日
 8月6日は高校の同窓会でした。学校全体の会なので卒業30年目の学年が当番となります。今年は32回生でした。今年は例年の趣旨・目的に加えて東日本大震災の復興に向けての支援も盛り込まれており、「自分達に何か出来ることはないか」そんな思いがひしひしと伝わった会でした。32回生には辛島美登里さんもいらして32回生の軌跡合唱団と共に素敵な歌声を聞かせてくれました。歌手・辛島美登里さんでなく32回生のなかのひとりとして一所懸命取り組んでいる姿勢はさすがだと思いました。「サイレント・イブ」も歌って下さって感激。「手をつなごう」も良い曲でした。皆で手をつなぎましたが、私五十肩が痛かったです。
 さて二次会は学年別。カラオケスナックでした。皆さん元気、元気。私は先に帰ったのでお開きは何時だったのかな。
皆元気で何よりです。 
2011年08月02日
 我が家の庭に咲いた姥ユリです。花が咲く頃、すでに葉(歯)がないというしゃれから付けられたとも、姥を乳母と解釈して、大きな葉は乳母として植物全体を育てるのが役目で、育てた花が開くころ葉がなくなることが多い。だから乳母ユリという解釈もあるとか。
かつては、姥ユリの鱗茎からでんぷんを取っていたそうです。 
朝夕、とても甘い香りが立つ花で、香水にしたらと思うほどです。
2011年08月01日
 葉月よは陰暦で八月のことを指します。葉月の語源は、陰暦では九月上旬から十月上旬の秋にあたるため、葉の落ちる月「葉落ち月」が転じて「葉月」になったという説や北方から初めて雁が来る月なので「初来月」「初月」から「葉月」になったという説などがあるそうです。
 日に日に蝉の声も濃くなってお盆を過ぎると一気に赤とんぼが。背中あたりまで秋が来ているのかもしれません。
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