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2011年07月27日
 先日、小学校の恩師M先生とK子ちゃんの3人で黒の瀬戸に行きました。黒の瀬戸とは鹿児島県長島町と阿久根市の間にあり、八代海と東シナ海を繋ぐ海峡。大変流れが速く干潮時には大渦が発生します。薩摩の隼人の瀬戸として広く知られており、長田王が歌ったとされる「隼人の薩摩の迫門を雲ゐなす遠くも我はけふみつるかも」が万葉集に掲載されています。以前はフェリーで行き来していましたが、1974年に黒の瀬戸大橋が架けられ、とても便利になりました。先生は昭和30年代に長島の小学校に赴任していらして、当時はフェリ-の発着が終わると外部から島への侵入はないわけで、戸も窓も開けたままで寝て、実にのどかな良い時代だったと話して下さいました。何故か先生は出水市郡での教員生活が長く、いまでもあちこちに教え子がいて、私達と同じようにあれこれと教え子のことを気がけておられるようです。
 さて私達、先生のお話を伺いながら、ちゃっかりと海の幸を御馳走になり、先生が関わった行人岳にある碑文を見せて頂きました。(この件については、いつか書きたいと思います。)帰りには、関ヶ原の戦いで生き残った「中馬大蔵の墓」(「小説 島津奔る」を読むとよくわかります)を見たいという私の我儘に場所を探して下さって、しっかりお参りすることができました。「店長日記」を読んで下さった先生は「福山雅治」の歌を始め、何曲か吹き込んだものをお土産として持ってきて下さいました。ありがとうございます。
何歳になっても、先生は先生、生徒は生徒です。今回、気を良くした私は、K子ちゃんに「M先生と史跡めぐりどうかな」と提案しましたが、K子ちゃんは爆笑していました。私は良いと思うのですが。
2011年07月23日
 今日は大暑とか。本当に暑いです。西瓜やかき氷、涼しくなるものもいくつかありますが私は何故か、「風鈴」が好きです。あの音色を聞くと、心が落ち着きます。風鈴を買おうかなと思っていたところ、幸運にも照国神社から風鈴が届きました。六月灯に気持ちばかりのお供えに対しての御礼だったのですが、私には過分で申し訳なく思いました。
 さてその風鈴、上の方は小さな灯籠になっており、その一面には「思無邪」と書かれてありました。「思無邪」は島津斉彬公の座右の銘だったとか。いつも国、藩を思う時自分に私利私欲がないか自問自答していたと聞いたことがあります。
斉彬公、今のこの国の在り様をどのように思われるでしょうか。

風鈴は澄んだ音色を響かせています。
2011年07月19日
 いよいよ本番。午後から、問題の肩車の種目が始まりました。子供が言っていたように前半、一所懸命走り、途中指定の場所から肩車になりました。やっとの思いで子供を肩に乗せましたが、私が恐る恐る歩く姿が可笑しかったのでしょう。笑い声が聞こえました。「私は真剣なのに」と思いながらも、ひとり抜かれ、ふたり抜かれ、ビリにはならなかったものの、とても申し訳ない気持ちでゴールしました。子供にすぐ「ごめんね。」と言おうとした瞬間、「お母さん、頑張ったね。」と先に声をかけてくれたのは息子の方でした。足の速い子供にとっては残念なことだったでしょう。しかし、そんなことは微塵もみせず私を思いやる息子に本当に申し訳なく「この子のためなら、どんなことでも諦めずに頑張ろう。」と心の中で叫びました。
さて、運動会最後の種目は縦割りリレー。下級生から3位でバトンを受け取った息子は2人抜いてトップでアンカーの先生に。先生は2人に抜かれて3位でゴ-ルしました。先生も私同様、抜かれたことを気にして息子のもとにすぐに駆けつけ「ごめんね。ごめんね。一所懸命走ってくれたのにね。」と今にも泣きだしそうでしたが、「先生、皆で頑張れたから、よかったね。」と話していたようです。親も子も、いろいろなことを学んだ運動会でした。

 子育てで思う事ですが、子供ひとりひとり性格がまるで違います。他の子供と比べることなく、その子の本質を十分に理解すること。もちろん親とも別人格です。自分の反省も踏まえて思う事です。それから多くの子供たちと遊ばせ、親も悩みを抱え込まないこと。
私の息子は、一人っ子でしたが、兄弟同様にお付き合いさせて頂いた家があり、一人ぼっちにならずにすみました。子供同士だから学べること、いっぱいある気がします。

若夫婦を見て、あれこれ考えたことを書きましたが、豆よりさんのの本「おとうさんが怪獣になった」を読む方が、頑張れそうな気がします。
『最寄りの本屋さんはもとより、楽天、アマゾンでもすぐに届きます。』と若夫婦に一言添えて友人が作ってくれたお好み焼きを食べながら、有意義な時間を過ごす事ができました。
2011年07月17日
 私の友人の子供さん方がひとりふたりと結婚し、子供が生まれ、友人たちもいつの間にかおじいちゃん、おばあちゃんになりました。昨日は、その若夫婦方と御食事をする機会に恵まれました。「皆、頑張っているな。」これが実感です。

 先日、豆よりさんの本を読み返したこともあり、自分の子育てを振り返ってみました。「何とかなるさ」とどちらかというと楽天家の私でしたので、母子家庭ということをあまり深く考えませんでした。、それでも「えっ」と思うようなことが何度もありました。子供を、1歳の時から保育園に預けていたので、水疱瘡、おたふく、はしかと次から次に病気になりました。はしかは当時、予防接種があったのか受ける前だったのか、はっきりしませんが、ものすごい高熱で顔は埴輪のようになり、あまりのひどさに入院となりました。しかし、それほど深刻とは思いもせず、先生から「今夜が峠ですね」と言われてびっくり。私が眠っては明日、息をしていないのではないかと思い、一晩必死で看病しました。翌朝、先生から「もう大丈夫ですよ」と言われ私の方が倒れ、共に入院。見かねたその病院の看護婦さんが「おかあさん、ひとりで大変だけど頑張って下さいね。」と病室にお花を飾って下さいました。オレンジの薔薇だったと思います。眠らずに、いつまでもいつまでもその薔薇を眺めていた私です。
 いろいろなことがありながらも、子供は成長していきました。保育園の新年度、初日に迎えに行くといつもうちの子供だけいません。今年は腕の怪我、翌年は頭を怪我したので病院、というように、何がしかトラブルが。新年度の初日は、いつも「またか」で始まりました。
 さて、忘れもしない出来事。豆よりさんも書いていましたが、保育園の運動会はとても盛んです。足の速い子供だったので、とても張り切っていました。運動会の恒例種目に親子リレーがあり、「おとうさんをどうするか?」私が2周走ってもよいのですが、私で抜かれると子供に悪い気がして、同じクラスの友人の御主人にお願いしてみました。御主人はとても快く引き受けて下さり、翌年からは私を気遣って向こうから声をかけて下さり卒園するまで毎年、走って下さいました。本当に、ありがとうございました。
毎年、毎年、頑張った運動会でしたが、年長さんの時の親子種目に半周走って半周肩車がありました。これまで肩車をした事がなかった私。さすがに「どうしよう」と思いました。早速、子供に「今日から肩車の特訓をします。これが出来ないと運動会は出られませんからね。」と話しました。いざ、やってみると痩せた私には、6歳の子供でもかなり重く膝をついて乗せるのがやっと。次に立ってみる、次は廊下を歩いてみる、次は外でやってみる、というように練習しましたが走るというのは、なかなか簡単にいくものではありません。結局、前半、頑張って走り、後半の肩車は転ばないように走るということにしようと子供が言いました。
さて本番は?
2011年07月16日
 7月になり鹿児島の風物詩、六月灯が始まりました。15日、16日は照国神社の六月灯です。「六月灯」の始まりは島津19代藩主・島津光久候が上山寺の観音堂を再建した折、旧暦6月18日に沿道に燈籠を揚げ道の明かりにしたのが始まりとか。また種子油を神社に献じて人馬の無病息災と病害虫の根絶を祈った「お灯明あげ」が始まりという説もあります。

 鹿児島にいた頃、六月灯が始まり、「白熊」を食べて夏が来たと感じたものです。今日は「白熊」を食べようかな。
2011年07月12日
 「おとうさんが怪獣になっちゃった」高校の同級生が書いた本のタイトルです。豆よりというのは彼女のペンネームです。
最愛の夫が、ある日突然他界します。幼子ふたりを抱えて悪戦苦闘の日々が始まるのですが、彼女はどんなことでも前向きに立ち向かっていきます。一所懸命生きることの大切さと、感謝を忘れないこと。この本から学んだことです。
 豆よりさんとは、高校時代、話したことはありませんでした。しかし、この本を読み「ありがとう」を言いたくて連絡を取りました。離婚してひとりで子育てをした私にとって、この本のひとつひとつが自分達の姿と重なりました。豆よりさんと違い、私は実家での生活でしたが、それでも大変と思うことがたくさんありました。豆よりさんはとても小柄な女性です。そんな彼女がひとり何役もこなしながら子育てをしてきたのかと思うと涙がでました。

 遠藤周作氏が同じ作家の佐藤愛子さんとの対談で「あなたは苦労が身につかないから、そこがいい」と話していたことを思い出しました。「苦労をした人は、ややもすれば性格が卑しくなって人を羨ましがったり、妬んだりしがちだけれども、佐藤愛子は、純白な下着を着ているような感じ。」
 まさにこの言葉を豆よりさんに贈りたいです。


人は一人では生きられない。多くの人に助けられ生きている。不安定な今だからこそ心に沁みる1冊です。


本の横に「豆ハギ」を飾ってみました。
2011年07月10日
 先日の大雨が嘘のような真夏日。暑い。
今日荒れ放題の庭に、カサブランカが咲いていました。画像に香りを載せられないのが残念なくらい甘い香りを放っています。
カサブランカと縁が一重のトルコキキョウ。淋しげですが、この組み合わせが好きです。
最近はトルコキキョウも八重が多いのですが、桜も一重のシンプルが好みです。
2011年07月08日
 7月6日に大雨が降り、一時避難しました。小学生の頃、やはり大雨で私を連れて逃げた両親が、逆に私が車に乗せる方になり何だか淋しい気がしました。
 ほんの1日の避難でも非日常的な事が起きた時の高齢者の疲労は、予想を越えたものがありました。「どうなるのだろう」という不安。大きいものです。私達は知人宅に身を寄せることが出来、至れり尽くせりして頂きましたが避難所だとそうもいきません。まず、トイレ。足・腰が不自由な人にとっては和式のトイレは無理。それから薬の補充など。そう考えると震災から4ヶ月近くになる東北の方々の生活、どんなに大変なことでしょう。
日常を取り戻せますようにと祈るばかりです。

川も日常に戻りました。
2011年07月07日
 今日は七夕。昨日の大雨が嘘のような穏やかな天気です。
「日本が穏やかで、恙なく暮らせますように」
そう祈りたいです。
2011年07月06日
今日は明け方から大雨となりました。雨といえば裏の川の水位が上がらないかとびくびく。
さすがに今日は川沿いの家には「避難勧告」が出ました。我が家も避難区域です。まずは公民館、ここで無理なら出水小学校が避難所となります。私は両親が高齢なので高台の知人宅へ避難させて頂きました。普段から避難用のカバンは準備しているのですが、いざ開いてみると薬は古いし、食べ物も賞味期限が切れていて役に立ちません。時間的に余裕があったからよいものの、一瞬の災害の場合は、逃げ切れないだろうと思いました。
背中にリュックを背負い、両方の手もふさがって、背中に唐草模様の風呂敷の「東京ボンタ」を思い出しました。
 知人宅は、両親が疲れないように、いろいろと気を遣って下さり、心の込もった昼食でもてなして下さって本当にゆっくりさせて頂きました。雨も小降りになったので夕方、帰宅しました。

当たり前が当たり前でないということが身にしみた1日でした。
2011年07月05日
 先日、人間ドッグに行ってきました。実に9年ぶりです。元々痩せているのですがあまりにも痩せて、先生から注意を受けました。それ以外は特別異常もなくひと安心。胃の検査をしなかったので必ず受けるように念を押されました。バリウムが苦手なので胃カメラでないと私は無理なのです。昨年、胃カメラは受けましたがピロリ菌もいずにいたってきれいな胃でしたが、今年は如何に。
いづれにしても緊張します。
2011年07月01日
 7月は文月といいますが、由来として7月7日の七夕に詩歌を献じたり、書物を夜風に曝す風習があるからというのが定説となっています。しかし、七夕の行事は奈良時代に中国から伝わったもので元々日本にないものであることから、稲の穂が含む月であるから「含み月」、「穂含み月」の意味があるそうです。
やはり稲と関係がありますね。
「焼酎」も良い水と米、そして芋。これらがなくては出来ません。
自然の恵みに感謝です。

夕方、大きな虹が。
たまには気分を変えて、ゆっくり手紙を書いてみるのも良いのかも。
2011年06月28日
 宝くじは全く当たりませんが、コンサートチケットはよく当たる方だと思います。この6月は鹿児島で福山雅治コンサートがあり、小学校の友人と行ってきました。アリーナ席だったらいいねと話していたらサイド席。「ま、見れたらいいね」と言いながら座席を確認すると何と最前列。福山さんはファンサービスが良く、所狭しと舞台を回ってくれるのでこちらに来たら目の前。人の頭がなく福山さんを見れるのではないかと。
 さて、5400人入ったコンサートが始まりました。福山さんが登場すると皆総立ちで「キャー」。すごい熱気なのですが、意外に年配者も多いので私でも違和感はありませんでした。
コンサートも半ば頃、こちらのサイド席に福山さんが。何の障害物もないので手を伸ばしましたが、あと一歩。「柵を乗り越えないで下さい。」という紙が現実味を帯びてきて、本当に邪魔なのです。しかし演出側も心得たもので、皆が手を伸ばした途端、舞台がせり上がり、私と福山さんの距離は、どんどん離れていきました。この距離がスターとファンの距離ですよね。
「やっぱりね」と思うと5400人×2日だから、○○円よねとか新幹線、宿泊とかすごい経済効果だと馬鹿なことを考えつつも十分に楽しめました。
 柵からの転落もなく、いよいよコンサートは終わりに。福山雅治=桜坂というイメージが強くコンサートでは「桜坂」は歌わないと聞いたことがあります。だから今回もあきらめていました。しかし、アンコールの最後に「鹿児島は13年ぶりだから。」と歌ってくれました。「花紫美」が花なので御褒美をもらった気がして単純に嬉しかったです。
「君をずっと幸福に・・・・・」

友人のK子ちゃんが喜んでくれて、また行きたいです。
2011年06月26日
 私の母校の高校は同窓会活動が盛んです。6月25日は東京T会の総会が目黒であったそうですが、今年は私の学年のO君が会長に就任することもあり、例年以上に参加者が多かったようです。O君とは中学、高校と一緒で、私の母方の祖父がO君の御祖父様ととても懇意にさせて頂いていたようで、ことのほか懐かしくあります。卒業して30年以上経っても連絡が密で学年がまとまっているのはO君始め幹事の皆様のおかげです。鹿児島の会もNさん始めクラス幹事の皆様のおかげで成り立っています。
 さて、この東京の同窓会、二次会に出水市出身のY君が「花紫美」の1升瓶を抱えて行ってくれたそうです。電話で「花紫美で乾杯。・・・・・・」という声を聞かせてくれました。じーんときました。行けるものなら行きたかったな。皆さん、ありがとう。
鹿児島を離れて30年近く。皆、励まし合い、支え合ってきたのだろうと思います。私も頑張らなくては。
 「花紫美」は、それぞれの人生の節目に脇役として置いて頂きたい、そういう思いがありました。だから今日の事は、「花紫美」自身が一番喜んでいる気がしました。
梅雨空に光を見た日です。
 
2011年06月22日
 今日は久々の青空です。何だか得をしたような気分です。洗濯をしたり、台所をきれいにしたりと。庭は雑草が勢いづいてジャングルのようですが、ここまでは手が回りません。ペパーミントの良い香りが漂っていました。
2011年06月20日
 今日も大雨。私の家は裏が川なので、氾濫するのではないかとびくびくです。自然の力には勝てません。謙虚に自分の分を知って頑張るしかないのかなと思います。
 出水市でも、ひとり大雨による行方不明者が出ています。御無事でありますように。
2011年06月19日
 今日は父の日。大雨で裏の川が気になりながらの今日です。
毎年、何気なく過ごしているこの日も、だんだん父が高齢になっていくと「今年も無事迎えられてよかった。」と特別な日に思えます。誕生日にしても然りです。
父の日のプレゼントは何より本が好きな父なので、図書券にしました。父の本棚にまたどんな本が並ぶのでしょうか。楽しみです。
2011年06月14日
 お弁当といえば、必ず思い出すのが高校の友人のK君のお弁当です。K君のお弁当は三段重ねか、当時はまだ珍しかったランチジャーでした。三段重ねのお弁当は、ご飯物、おかず、フルーツで、いつもバランスよく盛りつけられていた記憶があります。ご飯は、毎日、具の違うおにぎり、巻きずし、おかずはお肉やお魚に緑色の野菜というように、お料理の本から抜け出たような見事なものでした。私は祖父母の家に下宿して高校に通っていたので、お弁当は作ってもらえるだけでも有難く、つい、そのお弁当を見て「K君のお弁当、毎日がお花見か遠足だよね。」と言ってしまいました。彼は、私の言葉に吹き出して、お弁当の蓋に巻きずしをのせて回してくれました。「いいよ。」と言ったものの、ちゃっかり頂いて「おいしい。」と叫んだ私です。私こそ花見みたい。
 息子が高校生の頃、何度かお弁当を作ることがあり、その度に、あのお弁当を思い出しました。決してあのように立派に作ることは出来ず、3年間、あれを続けたお母様は「あっぱれ」の一言に尽きますが、何より深い母親の愛情を、今になりあらためて思います。K君は現在、東京で活躍していますが、今も変わらず仲良しです。社会の第一線で走り続ける陰には辛いこともあったでしょうに、彼は奮起して頑張ってきたのだろうと思います。その原動力となったのは、あのお弁当だとしみじみ思います。
「コンビニのおにぎりが一番おいしい」という若者の声を聞くたび、「何だかね。」と思うのは私だけでしょうか。
2011年06月06日
 特技というほどでもないのですが、私は、忘れ物、落し物が不思議と戻ってきます。傘を置き忘れても、そこに待っていてくれたかのように座っています。7年くらい前に、鹿児島市で財布を落としたことがあります。かなり落ち込みましたが「きっと財布も帰りたがっているに違いない」と思いこみ、ずっと財布のことを考えました。ほどなくして、コープから電話があり「財布を落とされませんでしたか?生協のカードが財布に入っていたので、うちに電話がありました。」とのことで、鹿児島市の届け先まで取りに行きました。財布に対面した時、迷子をみつけたような気持ちで「私、大切にしなかったのかな」と財布に悪いことをしたと、つくづく反省しました。無事帰ってきてくれた財布が何とも愛おしく感じ、「ごめんね。」と何度も謝りました。
 大学生の頃、リュックのポケットに小銭入れを入れてすられたことがあります。このことを子供に話すと「お母さん、いくら入っていたの?」と聞くので、すかさず「5円だったよ。」と答えるると、子供は「その人、気の毒だったね。」と小さい声で言いました。
ちなみに私、いつでもどこでも眠ることができるという特技もあります。
2011年06月04日
 かつてこの店長日記にも書きました小学校の恩師から葉書が届きました。庭にヤマアジサイが咲いたとのことで、その美しい紫の写真が添えられており、「我が家ではこの花を花紫美と呼ぶことにします。」という文で結んでありました。
 花紫美とは架空のものなので、人それぞれが想う花がある気がします。
紫の花といえば,沈丁花、すみれ、モクレン、菖蒲、クレマチス、ラベンダー、紫陽花、萩、シクラメン、などなど。たくさんあると思います。紫の花って、どれくらいあるのかなと考えるのもおもしろいものです。染料の原料である紫草の花は意外なことに白色なのですが、一度見てみたいと思っています。また南国育ちの私にとって北海道のラベンダー畑には憧れがあり、こちらもいつか行けたらいいなと思います。私にとっての花紫美は、まだ定まらない気がします。
 先生の葉書を読みながらいろいろなことを考えましたが、先生は達筆で、この先生をもっても私の汚い字の修正は無理だったかと、梅雨の空のような気持ちになりました。

写真の花は我が家の庭に咲いた菖蒲です。紫衣誉と札に書いてありました。
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