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2011年06月02日
 鹿児島市に住む伯母は、現在86歳です。本当に元気です。伯母の健康の秘訣を考えてみるとマイナス思考がまるでないということだと思います。そして感謝を忘れない。伯母の口癖は「よすごわんさを」という言葉。(よかったね)という意味です。例えば転んで怪我をしても「そいですんだで、よすごわんさを。」ということになります。伯母のこの鹿児島弁には独特の節回しがあり、「悩んでいてもばかばかしいな。」という気持ちにさせるから不思議です。
 先日、焼酎を送りました。今回は「感心なこっな。気張いやんせを。」(頑張れ)でした。懐かしい言葉です。中学の先生がよく「気張れ」と言っていたような。
さて、先日京都が舞台のテレビドラマで山村紅葉さんが「お気張りやっしゃ。」というセリフを喋っていました。何処も同じ。気が萎むと良くないのですね。
2011年06月01日
 今日から6月。水無月です。梅雨が明けて水が涸れてなくなる月であると解釈されることが多いようですが、逆に田植えが終わって田んぼに水を張る必要のある月「水張月」「水月」であるとする説も有力だそうです。農耕との関わりが深いのだと思います。酒造りも水との関わりが深く水神様を大切にします。先祖代々、大切にしてきたもののひとつだと思います。
 さて6月の花といえば「あじさい」。紫の花のひとつです。人それぞれが思う花紫美があるような気がします。あなたの「花紫美」は何でしょうか。
2011年05月28日
 4月に野村萬斎さんの狂言が鹿児島でありました。毎年、年に一度、これを観るのが私の楽しみのひとつです。今年の演目は「狐塚」、「吹取」、「月見座頭」でした。なかでも「月見座頭」は、とても心に残りました。
内容は、仲秋の名月。河原で虫の声に聞き惚れる座頭に、月見の男が声をかけ、歌を詠み合い意気投合します。謡い舞いつ酒宴を楽しみ、和やかに別れた後、急にその男は引き返し、座頭を突き倒しますが、座頭は、それが先ほどの人とは思わず、世の中には、先ほどの人とは違い、このようなむごいことをする人もいるものだと嘆くというもの。
人間の心には、美しさと恐ろしさが同居し、それがある瞬間、面目と裏目が入れ代わる。だれもが持っている心の闇を、ぐっと押しだした狂言だと思います。明と暗。この対極にあるものを萬斎さんは赤と黒といった対照的な色合いで演じていたような気がしました。以前、お父様の万作さんが盲目の主人公を演じたのを観たことがあります。これは、途中、神の御加護により目が見えるようになるのですが、この見えない、見えるというやはり対照的な現象を万作さんは同じ色の強弱で演じられた、そういう印象を受けました。どちらがどうというのでなく、その人の芸だと思います。
今年は万之介さんの演目がなく、改めて「お亡くなりになったのだな」ということを実感したわけですが、「山椒は小粒でもぴりりと辛い」という言葉がぴったりの万之介さんの演技をふと思い出しました。
2011年05月23日
 我が家の庭にピンクの野ばらが咲き始めました。白い野ばらより1ヶ月遅れとなります。このばらは今は九州新幹線出水駅の駐車場となっている所に側溝があり、その土手に咲いていたものです。他にもあるのかもしれませんが、私が知る限りにおいてはこの場所だけで、とても珍しく毎年楽しみにしていました。やがて新幹線が通るとのことで何本か切り、家に持って帰り挿し木にしました。もう10年は経ちます。
出水駅周辺も新幹線開通とともに様変わりし、大きな実をつけていた桑の木などなくなってしまいました。
 このばらを見る度、淋しさと懐かしさを覚えますが、何より今年も無事に咲いて「よかった」としみじみ思います。
2011年05月12日
 この度、新しく「花紫美」を発売致しました。

太古より紫は高貴な色として崇められてきました。染めの原料である紫草と貝紫は、とても貴重だったとか。
さて出水市は東に加紫久利山(矢筈岳)、南は紫尾山、西に笠山、北に不知火海と自然豊かな土地です。いつの時代も人は自然を敬い、その恩恵の中で生きてきたように思います。同じ地域で、紫の名が付く山が二ヶ所もあることから、「紫」という言葉ににとても興味を持ちました。また日本は四季折々の花がとても美しく「花」のない時はないと思います。
「紫」と「花」。この美しさを焼酎に例えたらどのようになるのだろうか。「風」のような軽やかなイメージが浮かんできました。それが「花紫美」です。
阿久根市波留の大石酒造にて、麹米に古代米を用いひとつひとつ丁寧に造られました。ラベルは佐賀の女流画家・山﨑美恵子さんにお願いし、架空の花を描いて頂きました。吉野ヶ里遺跡で貝紫による染めが発見されたこともあり、縁を感じております。
 厳しい時代、優しい風を感じて頂けたらと思います。
2011年05月10日
 昨日、珍しい薔薇をみつけました。花弁が紅白で一瞬椿と見間違いました。年々、いろいろと品種改良がなされていくのでしょうね。コープで買い物を済ませ、出口でこの花に引きとめられて、再びレジに向かいました。「母に日」の売れ残りかなとも思いながら、紅白だからきっとお祝い事にぴったりとひとりで納得して帰りました。名前は何という薔薇でしょうか?
2011年05月08日
 今日は、母の日。昭和ひとけた生まれの母は、おかげさまで元気です。ごく普通にカーネーションをあげました。小さい頃は、お小遣いを貯めてハンカチを買ったり小物入れをあげたり、何だか昔の方がこだわっていたような。
さて、薩摩は、かつて男尊女卑といわれていました。なかなかどうして、薩摩は男性を支える女性が強かったと思うのです。日露戦争でバルチック艦隊を破った海軍の東郷平八郎は薩摩の出身ですが、江戸時代、薩英戦争が勃発した頃は、まだ十代でした。兄に連れられて戦争へと向かう時、母が一言「負くんな(負けるな)」と言って送りだしたそうです。母は強し。
2011年05月07日
 鯉のぼりの歌といえば「屋根より高い鯉のぼり・・・」が一般的ですが、もうひとつ「甍の波と雲の波・・・・ 」という文部唱歌があります。
その中に「橘かおる朝風に・・・・」という歌詞があり、みかんの香りがそこら一帯にたちこめる爽やかな香りを連想したのですが、実際に嗅いだことはありませんでしたのでいまひとつピンときませんでした。何年か前に、みかん畑にお邪魔して、何ともいえぬみかんの香りに触れ、しみじみとこの歌を思い浮かべました。「ああ、この香りね」と。
 五月の風に薫るのは、花はもちろんのこと緑の木々の爽やかさです。抒情豊かな日本の歌を口ずさみながら風に吹かれることもほっとします。
2011年05月05日
 今日は五月五日。子供の日です。「端午の節句」もしくは「菖蒲の節句」とも言われます。菖蒲や蓬は強い香気で邪気を祓うとされていたところから、それらを軒下に吊るしたり、菖蒲湯に入ることで無病息災を願ったと言われています。
 日本では古くから、男性が戸外に出払い女性だけが家の中に閉じこもって田植えの前に穢れを祓い清める儀式を行う五月忌みという風習があり、それも影響しているようですが、鎌倉時代からか「菖蒲」を「尚武」という言葉にかけて男の子の誕生と成長を祝う節句となったようです。
雛祭り、子供の日、母の日、父の日など、ついでに家族の日というのができて祝日になればと思う次第です。
2011年05月01日
 今日から五月。あちこちで鯉のぼりを見かけます。皐月は耕作を意味する古語「さ」から、稲作の月として「さつき」になったとか。早苗を植える月が略されて「さつき」になったという説もありますが「早苗」の「さ」もやはり、耕作の「さ」が語源とされているので、いづれにしても耕作と関係しています。漢字の「皐」には「神に捧げる稲」の意味があるそうで、日本人と農耕とのつながりがよくわかる気がします。

風薫る五月。鮮やかな緑がまぶしいくらいです。花もいっせいに咲きます。我が家にも薔薇が。いつか店長日記に書いた「ジュリア」です。
2011年04月29日
 今日は昭和の日。昭和天皇の誕生日です。私も含めて昭和はよかったと思うのは、戦後生まれだからでしょう。本当に恵まれた時代だったと思います。パソコンも携帯もなかったけれど、不便だと感じたことはありませんでした。本を読んだり、ラジオを聞いたりと時間を楽しめました。フォークの全盛期で陽水やかぐや姫のレコードをお年玉で買おうと、張り切ったものです。夢があった気がします。鹿児島市の繁華街・天文館に行くと当時からの店が少なくなって寂しい限りです。
 さて祝日。近頃は、第何月曜日とかになり、はっきりと何日というのが少なくなりました。昭和の日は昭和天皇の誕生日で動かせないのでしょうが、平日がぽつんぽつんと休みになる方が私は得した気分になります。学生時代、数学がある日が祝日になると「ラッキー」と何度思ったことか。

今日は亡くなりました伯母の誕生日でもあります。生きていたら91歳でしょうか。絵を嗜み多くの絵を残しています。「出水兵児」の栞の絵は、伯母が書いた水墨画です。いつも見守ってもらっているようでほっとします。
2011年04月26日
 さる4月16日に出水市特攻碑公園内広場において第52回出水市特攻碑慰霊祭が執り行われました。毎年、父が参列させて頂いておりますが、今年は父が風邪気味で、付き添うかたちで私も始めて参列させて頂きました。
特攻というと鹿児島県においては、知覧が有名で出水のことは、あまり知られていません。

元々、出水は特攻基地ではなく、昭和15年に出水海軍航空隊として発足し航空母艦の飛行隊として活躍していました。昭和18年に真珠湾攻撃部隊が去ったのち、その後練習航空隊として開隊発足。昭和19年に763航空隊(銀河隊)が編成され、フィリピン・クラーク基地に進出し、特攻攻撃を始め、度重なる戦闘の結果遂に壊滅状態となりました。司令を含む隊員達はそのままクラーク基地に残り、一部搭乗員を内地帰還させた後、陸戦隊として終戦を迎えることなりました。
一方、出水基地では帰還した搭乗員を含めて、戦力の再建・強化が図られ、戦局が厳しくなった昭和20年に日本海軍は第五航空隊を編成、司令部を鹿屋に置き、所属の航空隊を鹿屋・宮崎・出水・国分・大分などに展開させました。この艦隊が特別攻撃隊です。出水には、先に再建・強化を図られた銀河隊、攻撃405・406が配置され、3月18日以降、特別攻撃が続けられました。出水基地に最後の足跡を残して特攻出撃し、散華された銀河隊員は200余名といわれています。その後、銀河隊に代わり松島・豊橋両航空隊の陸航空隊四次に分かれて進出。この攻撃隊も甚大な被害をうけ結果、残存部隊はそれぞれ原隊復帰し、それ以後の出水基地は出撃機の中継基地と化し暫時、戦闘331飛行隊が移駐したものの所属の飛行隊はなくなり8月15日の終戦を迎えました。
                            (出水市特攻碑顕彰会資料より抜粋)

私は出水にいながら、特攻の詳しいことは何ひとつ知らず、阿川弘之氏の「雲の墓標」をおぼろげに覚えているだけでした。この日の慰霊祭に先立ち遺影台に遺影が飾られ、いつもは静かな公園が実は大きなものを背負って存在しているのだということを実感しました。若者たちは、どんな想いを胸に抱いてあの空へ向かっていったのでしょうか。送りだした母親は、どんな想いだったのでしょうか。いろいろなことを考えていると、涙が止まらなくなりました。命をかけてこの国を守った方がいて、今日の私は在るのだとういうこと。顕彰と慰霊は何より大切ではないかと感じました。
 
 時折、桜の花びらがゆっくりと舞って、穏やかな時間を刻んでいました。
2011年04月23日
 21日に女優の田中好子さんの訃報を聞きました。まさか、あのスーちゃんとは思わず、初めは誰のことかと思っていました。しかし、あのスーちゃんでした。
 私たちの世代では男女問わず、キャンディーズは本当に人気がありました。何といってもかわいいし歌は上手い。コントもおもしろく衣装センスも抜群で垢ぬけていました。もうあんなアイドルは現れないだろうなと思います。憧れて髪型など真似てもみましたが、素地が違うので、どう逆立ちしてもあのようにはなりませんでした。「普通の女の子に戻りたい」と発言して解散した1978年は私が上京した年で、何処に行っても「微笑がえし」が流れていたのを憶えています。解散後、ミキちゃんは芸能界を引退し、ランちゃん、スーちゃんは女優となりました。
さて、報道によるとスーちゃんは92年から乳ガンを患いずうっと闘ってきたとのこと。辛いこともあったでしょうに、そんな素振りを何ひとつ見せず、いつも笑顔だったのは、一所懸命生きようという姿勢と女優というプロ意識が高かったからだろうと思います。志半ばで逝った義妹の夏目雅子さんの分まで、女優として頑張らなくてはという気持ちがあったような気がします。夏目雅子さんと共演していた「虹子の冒険」というドラマが懐かしいです。
心から、ご冥福をお祈り致します。
2011年04月21日
 4月も20日を過ぎたというのに本当に寒いと感じます。朝夕の冷え込みは堪えます。桜の頃、冷える時期を「花冷え」「桜冷ゆ」といいます。春の季語です。実は俳句を始めて10年近くになります。淵脇護先生主宰の「河鹿」に入会させて頂いています。あまり句会に行っていないので、何も語れませんが、俳句を通じ、日本語の美しさにたくさん出会いました。四季のある日本だから生まれた言葉。日本に生まれ育ったことに感謝です。しかし、知らない言葉の何と多いことか。恥ずかしく思うこと多々です。一向に上達しませんが、何とか続けていこうと思っています。
2011年04月14日
 九州新幹線が全線開通して1ヶ月が経ちました。以前は新八代で乗り換えでしたが、今は、そのまま熊本、博多に行けるので、とても便利です。出水から博多まで1時間15分余り。かつては鹿児島まで行くのに2時間近くかかっていましたから、本当に速いのだと思います。
 さて、九州新幹線の名称は「さくら」と「みずほ」。日本特有の名称です。葦原瑞穂の国という、稲の豊かな稔りを希求した先人。その生産生活を支えたのは、自然に対する敬虔な想いと鉄だそうです。歴史を辿れば、いろいろなことが見えてきておもしろいものです。
2011年04月11日
 今日で、震災から1ヶ月。大きな余震が続き、また福島原発のことを抱えながらの毎日。東北のことを思うと心が痛みます。そしてまだ行方不明の方が多数です。まずは、何とかみつかってほしいものです。
 こちら鹿児島は桜が満開です。
東北は、いつ頃から桜が開花するのでしょうか。桜は、稲の神が宿る木とされていたとか。
被災地にも必ずや、桜が咲きますように。
2011年04月04日
 私の母校である出水小学校は家から5分のところにあります。坂をひと上りした場所で、静かな武家屋敷地区です。途中の坂は今は、ぽつぽつと住宅が建ち始めていますが当時はあまり民家はなく、竹林が立ち並ぶ場所でした。普通なら、少し怖い感じの場所ですが、昔から好奇心旺盛の私にとっては格好の遊び場で、竹の子をいかにして取るかとか拾ったどんぐりをどこに入れて帰ろうかなど、楽しみがたくさんあって、通学時間5分が1時間くらいかかりました。最初は心配していた母も「この子には、何を言っても無駄だ。」とあきらめたようで野放しとなりました。
元気よく遊んでいた私が、1年に1度「きれいだな。」と、おとなしく見とれていたのが、坂の途中にある一本桜です。石に、『うぐいすたに』と彫られていることを今日、発見しました。
桜の木は、おてんばな私を、ずうっと見守ってくれてたのだと思うと、とても懐かしい人に出会えたような気がして。
2011年04月01日
 きょうから4月。卯月です。卯の花に由来しているとか十二支の4番目が卯だからとか、稲の苗を植えるから、「植月」とかいろいろな説があります。
卯の花もウサギも白が印象的なので、私としては、新年度が始まりゆく、まっさらなイメージがあります。
日本も、これから、これらからと思っています。被災された方が、恨みごとひとつ言わず、頑張っておられる姿に、こちらの方が励まされています。
私は私なりに出来ることを、精一杯やろうと思います。
2011年03月23日
 今日歩いていると、見知らぬ小学生が「こんにちは」と笑顔で挨拶してくれました。
咄嗟のことで、私の方がびっくり。一瞬、間があり「こんにちは。良いお天気ね。」と答えました。
以前、父が小学生に「こんにちは」と言うと、睨みつけられ「学校で、『知らない人に声をかけられたら注意しなさい。』って教えられているのだろうね。なんだか寂しいな。」と話したことがあります。それ以後、近所の子供さん以外話しかけないようにしていましたので、今日は、思いがけないことが起きて、心が温かくなりました。
春を感じた日です。
「ありがとう」
2011年03月17日
 被災地、それから福島原発と、テレビを観ては、「頑張れ、頑張れ。」と祈っています。
また、少しでも節電することで被災地に電力が送れぬものかと、電気ポットやエアコンを切ったりしていますが、周波数が違うので送れる電力は決まっているとか。言われてみれば、確かに。そうであるなら早い段階で自治体が呼びかけていますよね。でも、せめてもの気持ちとして、節電します。もちろん義捐金も。それから、今日はお墓参りに行き、いろいろなことを祈ってきました。
 私も6年生の時、台風で避難したことがあります。父だけ、なかなか避難所に来れず、川に流されたのではないかと心配しました。頂いたおにぎりがとてもおいしかった記憶があります。1997年、出水市で土石流が発生し21名の方が亡くなられました。一瞬のことだったといいます。私の場合は、まだ避難する時間がありました。地震、津波、前触れがありません。どうしたら防げるのかわかりませんが、避難準備だけはと、思います。

被災地で救助に向け頑張っておられる警察、消防、自衛隊、自治体の皆様、また福島原発で現場で処置にあたっておられる方々、ありがとうございます。「頑張って下さい」としか申せませんが、出水より祈っております。
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