店長日記

遠藤周作文学館
2011年02月14日
仕事のついでに、ちょっと足をのばし長崎市外海地区の遠藤周作文学館に行ってきました。
私が遠藤周作の本を初めて手にしたのは中学2年の時です。誕生日のプレゼントに「漫画よりおもしろいから騙されたと思って読んで。」と言われて頂いたのが狐狸庵先生の「ぐうたら人間学」だったような。確かにおもしろくて、それから本屋に行くたび、狐狸庵先生のシリーズをせっせと買うようになりました。本を読むことが楽しくなったのは、このおかげです。しかし、純文学の方は難しそうでなかなか「読もう」という気になれませんでした。
中学3年の修学旅行で長崎に行き、思うところあったのか夏休みに「沈黙」という小説を読みました。哀しくて重かった小説でした。「踏み絵」を踏む、踏まない、たったひとつの行為が人生を変えてしまう。踏み絵を踏むことで神は、何を問いかけているのか。これが答えという結論は見出せません。ただ年齢を重ねるごとにほんの少しだけわかる部分もあるような気がします。
長崎市グラバー邸の近くに十六番館という資料館があり、ここに踏み絵が展示されています。木の板に銅のメダイユがはめこまれ、そこに、はりつけにされたキリストが刻まれているのですが、その踏み絵は何度も踏まれたためにすりへり、人の足の油がしみ込んでいたと。それを見て遠藤周作は「沈黙」を書くきっかけになったとか。
遠藤周作文学館は「沈黙」の舞台となったことが縁で外海地区に建てられていますが、観光地化されておらず、「沈黙」の時代背景の匂いが今も残っています。何故、彼らが死を覚悟してまで隠れ切支丹となったのか、そしてその想いに光を当てた遠藤周作という作家。その全てを包み込んで東シナ海もまた沈黙していました。
私が遠藤周作の本を初めて手にしたのは中学2年の時です。誕生日のプレゼントに「漫画よりおもしろいから騙されたと思って読んで。」と言われて頂いたのが狐狸庵先生の「ぐうたら人間学」だったような。確かにおもしろくて、それから本屋に行くたび、狐狸庵先生のシリーズをせっせと買うようになりました。本を読むことが楽しくなったのは、このおかげです。しかし、純文学の方は難しそうでなかなか「読もう」という気になれませんでした。
中学3年の修学旅行で長崎に行き、思うところあったのか夏休みに「沈黙」という小説を読みました。哀しくて重かった小説でした。「踏み絵」を踏む、踏まない、たったひとつの行為が人生を変えてしまう。踏み絵を踏むことで神は、何を問いかけているのか。これが答えという結論は見出せません。ただ年齢を重ねるごとにほんの少しだけわかる部分もあるような気がします。
長崎市グラバー邸の近くに十六番館という資料館があり、ここに踏み絵が展示されています。木の板に銅のメダイユがはめこまれ、そこに、はりつけにされたキリストが刻まれているのですが、その踏み絵は何度も踏まれたためにすりへり、人の足の油がしみ込んでいたと。それを見て遠藤周作は「沈黙」を書くきっかけになったとか。
遠藤周作文学館は「沈黙」の舞台となったことが縁で外海地区に建てられていますが、観光地化されておらず、「沈黙」の時代背景の匂いが今も残っています。何故、彼らが死を覚悟してまで隠れ切支丹となったのか、そしてその想いに光を当てた遠藤周作という作家。その全てを包み込んで東シナ海もまた沈黙していました。