店長日記

父の医療について
2014年05月15日
早いもので父が亡くなってから半年近くになります。仕事も家でも一緒でしたので、父であり戦友のような存在でしたので、「姿が見えない」という現実をすんなり受け止めるには、まだまだ時間がかかりそうです。
それでも少しずつ、気持ちは前に進んでいる気がします。
さてちょうど去年の今頃、父は腰を痛めたことを契機にケアマネージャーさん始め、在宅の先生など自宅での医療体制が整いました。結果的には半年ほどお世話になりましたが、皆様方には本当に良くして頂きました。
また、父は長年、鹿児島市医師会病院の循環器内科を月に一度受診しておりました。主治医の先生は本当に良い方で、父もこの先生には全幅の信頼を寄せておりました。元気だった頃より「最期は、T先生に看取ってもらいたい」と申しておりましたので、結果そういうことになり、心残りはなかったと思います。
人生最後の入院となった11月、救急車が医師会病院に着いた時、その先生の顔を見た父が「ほっとしました」と漏らした時の笑顔を私は忘れることはできません。
それでも少しずつ、気持ちは前に進んでいる気がします。
さてちょうど去年の今頃、父は腰を痛めたことを契機にケアマネージャーさん始め、在宅の先生など自宅での医療体制が整いました。結果的には半年ほどお世話になりましたが、皆様方には本当に良くして頂きました。
また、父は長年、鹿児島市医師会病院の循環器内科を月に一度受診しておりました。主治医の先生は本当に良い方で、父もこの先生には全幅の信頼を寄せておりました。元気だった頃より「最期は、T先生に看取ってもらいたい」と申しておりましたので、結果そういうことになり、心残りはなかったと思います。
人生最後の入院となった11月、救急車が医師会病院に着いた時、その先生の顔を見た父が「ほっとしました」と漏らした時の笑顔を私は忘れることはできません。