店長日記

桜
2013年02月10日
出水市にあるお寺の桜が満開です。寒緋桜かなと思います。節分を過ぎて一気に咲きはじめ春の訪れを教えてくれます。
さて、今年の節分は、歌舞伎の十二代・市川団十郎さんが亡くなりました。成田山で、豆まきをされていた姿がとても印象に残っていますので、節分の日に亡くなられたことは偶然でない気がします。
享年66歳だそうで、歌舞伎界にとっては中村勘三郎さんに続く訃報であり、その衝撃は計り知れないものと思います。私も一度、団十郎さんの「勧進帳」を観たいと思いつつ、叶わぬこととなりました。亡くなられた後、団十郎さんについての記事を読んでみると、「巧いという役者は他にもいたかもしれないけれども、団十郎ほど立派な役者はいなかった。」という意見がどの記事も占めています。技巧を超越した人間性の深さが創り出した芸ということだと思います。団十郎さんは19歳で父親を亡くし、また晩年は白血病と闘いながら、生き抜いてきた方です。骨髄バンクNPO法人の会長も務めました。また子供たちに直接、歌舞伎指導をしたりと、歌舞伎以外の多くのことにも力を注いでおられたようです。そういう生活のすべてが芸につながっていたのかもしれません。
2月5日の日経新聞に掲載された演劇評論家の上村以和於氏が「市川団十郎を悼む」という文章の中で成田屋の「荒事」「にらみ」について、とても興味深いことを述べていたおられました。
『市川家の芸の神髄は「荒事」にあるといわれるが、それは「荒人神」という一種宗教的な精神を根底に持っている。「にらみ」という、団十郎家に今も伝わる儀礼で、団十郎が睨んで見せると邪気が払われると信じられた。それは俗信というより、民族の深部に宿る人々の願いであり、祈りにも通じる。団十郎とは、その民族の魂を体現する者であり、「荒事」は、それを現す芸だった。』と。
多分、市川団十郎という役目は、人知れず、一心に民の幸福を祈り続けてきたものであり、そして私達は、真なる市川団十郎が在ることで守られてきたのかもしれません。能はさまよえる霊を鎮める鎮魂の役目があったといわれています。歌舞伎も、もしかしたら本来は、祈りが根底にある芸であり、それを歌舞伎の支柱である市川宗家が担っていたように思えます。
その重責たるや想像を絶するものがあったかと思います。今はただただゆっくり、休んで頂きたい。
お寺の桜を眺めながら、ふとそう思った次第です。
さて、今年の節分は、歌舞伎の十二代・市川団十郎さんが亡くなりました。成田山で、豆まきをされていた姿がとても印象に残っていますので、節分の日に亡くなられたことは偶然でない気がします。
享年66歳だそうで、歌舞伎界にとっては中村勘三郎さんに続く訃報であり、その衝撃は計り知れないものと思います。私も一度、団十郎さんの「勧進帳」を観たいと思いつつ、叶わぬこととなりました。亡くなられた後、団十郎さんについての記事を読んでみると、「巧いという役者は他にもいたかもしれないけれども、団十郎ほど立派な役者はいなかった。」という意見がどの記事も占めています。技巧を超越した人間性の深さが創り出した芸ということだと思います。団十郎さんは19歳で父親を亡くし、また晩年は白血病と闘いながら、生き抜いてきた方です。骨髄バンクNPO法人の会長も務めました。また子供たちに直接、歌舞伎指導をしたりと、歌舞伎以外の多くのことにも力を注いでおられたようです。そういう生活のすべてが芸につながっていたのかもしれません。
2月5日の日経新聞に掲載された演劇評論家の上村以和於氏が「市川団十郎を悼む」という文章の中で成田屋の「荒事」「にらみ」について、とても興味深いことを述べていたおられました。
『市川家の芸の神髄は「荒事」にあるといわれるが、それは「荒人神」という一種宗教的な精神を根底に持っている。「にらみ」という、団十郎家に今も伝わる儀礼で、団十郎が睨んで見せると邪気が払われると信じられた。それは俗信というより、民族の深部に宿る人々の願いであり、祈りにも通じる。団十郎とは、その民族の魂を体現する者であり、「荒事」は、それを現す芸だった。』と。
多分、市川団十郎という役目は、人知れず、一心に民の幸福を祈り続けてきたものであり、そして私達は、真なる市川団十郎が在ることで守られてきたのかもしれません。能はさまよえる霊を鎮める鎮魂の役目があったといわれています。歌舞伎も、もしかしたら本来は、祈りが根底にある芸であり、それを歌舞伎の支柱である市川宗家が担っていたように思えます。
その重責たるや想像を絶するものがあったかと思います。今はただただゆっくり、休んで頂きたい。
お寺の桜を眺めながら、ふとそう思った次第です。